内山節『ローカリズム原論』を読む中で

「関係性」をはぐくむことの意味

ここ数年の後期、隔週2コマ連続で目白大学大学院の夜間講義「地域福祉政策特論」を担当させて頂いています。試行錯誤の連続ですが、3.11を受け、復興すべき、創りあげるべき地域とは何か、ということをもう一度考えたくて、内山節さんの『ローカリズム原論』の読み合わせを行ってきました。

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群馬県上野村に居を構えつつ、地域・共同体について日本のありようから考える、平易で深い洞察に、多くの刺激を受けてきました。

 

その中でも、特に「関係性」をはぐくむことの意味を、単に生きやすく、暮らしやすくする手段として、機能として捉えるのではなく、生きることそのもの、と捉える必要性に関する主張に強く惹かれてきました。

 

昨今、「主体的に生きる」「主体性を育てる」といったことが教育、福祉の領域でもよく語られますが、その本質は何か?となるとなかなか難しく捉えがたい。しかし、内山さんは主体とは個人の中に存在する何か、把握できる特定の何かではない。主体・私とは「関係性の総体」である。例えば「自己紹介」を考えてみると、本当の「自己」を捉えての自己紹介は困難であるが、どのような「関係性」の中で生きている人間か、ということは確実に伝えることができるから。という論旨で説明してくれています。

実はこの論旨に強く共感しながらも、あと一歩、つかみきれない「何か」を感じていました。そんな中、受講生の河村さんという学生が、まったくの偶然で西蓮寺ご住職が出されている「ことば こころのはな/No.172」を持ってきてくれ、山崎まどかさんという方の(当時小学校6年生)次のような詩を紹介してくれました。目からウロコが落ちる想いとはまさにこの詩を読んだ瞬間の感動でした。

 

人間は、生きるために

にわとりも殺さなくちゃいけないし

豚も殺さなくちゃいけない。

生きているってことは

ずいぶん迷わくをかけることなんだ。

自分で自分のことを全部できたら

人は一人ぽっちになってしまう。

他人に迷惑をかけることは

その人とつながりをもつことなんだ。

他人の世話をすることは

その人に愛をもつことなんだ。

生きるっていうことは

たくさんの命とつながりをもつことなんだ。

 

いかがですか。小生は感動もし、脱帽もしました。関係性に生きることの意味、本質を実に平易かつ明確に言い表してくれていると思います。これからしばらく、この関係性に生きることの意味を大切にして研究、教育に励んでいきたいと強く思った次第です。

なお、「ことば こころのはな」は次のブログで読むことができます。是非。

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