死ぬことと、生きること

気がつけば酷暑の日々・・・あっという間に春学期が終わろうとしています。

先ほどの授業「社会福祉原論Ⅰ」で、今年もドキュメント「ニューヨークのマリア」を視聴しました。キャリアウーマンだったマリアがALSに罹患、気管切開はしない決意、離婚したアメリカ人ボブにお別れを言うための再訪・再会、再会直後に体調急変・・・第29回ATP賞テレビグランプリ2012-ドキュメンタリー部門最優秀賞を受賞した作品です。

社会福祉原論Ⅰでは様々な映像資料を視聴します。ここ数年、最後の3回を「夢をかなえる」シリーズとしていますが、今年は「重症心身障害者に旅を贈る」、「車いすのアスリート達」、そして改めてマリアのドキュメントにしました。

学生のリアクション・ペーパーの中から、一つだけ紹介したいと思います。

◎・・・社会福祉的な視点から言えば、今回のビデオについての感想は「どんな困難に陥っても助けられるような社会を作らなければならない」というものだろう。今までの授業で私が感じてきたことは、多少違いはあれど、これに類するものであった。しかし今、私は「困っているの人の願いを叶えたい」という衝動に駆られている・・・(中略)・・・現実や理論も確かに重要だが、人々に向き合い続けようとする心は、忘れられがちでありながら、最も大切なのではないだろうか。

このシリーズの中で、学生諸君には「一人の、一つの夢をかなえるプロセスは、たくさんの人の夢をひきよせる」というメッセージを贈り続けてきました。そんな想いが伝わったようで、心静かに、うれしく思っています。

1年前のブログと比べて、僕自身が少しは成長しているでしょうか・・・(^_^;)。

僕はマリアさんと直接の面識はありません。でも、この映像と今でもアクセス可能な彼女のブログを通して、マリアさんと時折、話しています。心を打たれた人の死~それは直接知っている、知っていないにかかわらず、その人が自分の心の中で生き続けていくこと。亡くなった「その人にとってのその人の生」を生きることは僕にはできず、「その人」との関わりの中で生きていくのが僕だとすれば、「その人」が生身として生きて自分の前にいることと、死して自分の中に生き続けることはつながっている。

こうした素朴ともいえる認識にようやく辿り着けた、と実感する今日この頃です。だとすれば、自分の生死は必ずしも周囲の人々にとっての生死を意味しないのではないか・・・。

さて、次回のアップがいつになるか自分でもわかりませんが、最近、「自己責任論の生成と教育」という問題を考え続けています。

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暑い夏が来ました。くれぐれもご自愛下さい。